2011年6月8日(水)
新国立劇場『コジ・ファン・トゥッテ』マチネ。14時~17時35分。演出はダミアーノ・ミキエレット。
台本上の時と場所は18世紀ナポリの富豪の姉妹の邸宅におけるある日の24時間であるが、ミキエレットはそれを現代の英語圏の国のキャンプ場での一日に設定している。
主要登場人物の一人ドン・アルフォンソが経営するキャンピング・アルフォンソCamping Alfonsoで繰り広げられる取り換えばや物語である。
大胆な読み替えであるが、装置は設定された時と所に合わせた至って写実的なもの。楽譜の読みが深く、それに支えられた納得のいく舞台だった。歌詞と装置等との矛盾が危惧されたが、そんなことはなんのその、聴衆の理解が視覚的に邪魔されることもなかった。
例えば、軍隊の招集がかかったという歌詞をどう処理するのかと心配したが、米国の軍隊がアフガニスタンかイラクへの出動するための招集かと思わせられて納得したり、等。
最後は、2組の恋人たちもアルフォンソとデスピーナも和解することなく6人がてんでバラバラな方向へ喧嘩別れして去って行くところで幕、という演出で、あのような取り換えばや物語の後で元の鞘に収まるわけがないという解釈だった。
これまで見てきたのはすべて、ゲッツ・フリードリでさえ、ハッピーエンドで元の鞘に収まるという演出だった。それを思うと、最近の傾向とはいえ、人間ならそれで当然じゃないかという解釈も大いにあり得るとここでも納得。私は才気煥発な彼の演出を是と評価した。
後日、友人から指摘されて初めて2010年11月23日にトリノで観た『蝶々夫人』と同じ演出家であることに気が付いた。
トリノで観た際には、日本ではなく東アジア一般の現代という舞台設定に、日本人故の反発心を抱き、心穏やかに評価ができなかった。
落ち着いて考えてみると、ミキエレットは、いずれの場合にも、楽譜を掘り下げ深く読んで、そこから劇を作り出すことのできる演出家であると思う。演出過剰という非難は当らない、音楽とドラマの一貫性を失わないで演出することのできる才能の持ち主である。
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