2012年7月10日火曜日

2012年3月ベルリン旅行記VII  後書


2012320(火祝) 7 晴れ

0820分 成田着(予定時間は0850)。待ち時間なくリムジンバスに乗車。
1130分頃 帰宅。

日本と日本語の国に着いて、へなへなと心的緊張が解けていく。


旅行を終えて:

今回のベルリン旅行は、もともとバレンボイム指揮の『トリスタンとイゾルデ』公演を聴くための音楽行脚であったが、ドイツ音楽アルヒーフとペンション・シシリアを再訪する一種のセンチメンタル・ジャーニーでもあった。

いまを去ること31年前、1981年の5月から2ヶ月近くの間、実習生として働いたドイツ音楽アルヒーフが入っていた建物と、19819月にドイツ音楽アルヒーフを妻と訪ねるために滞在したペンション・シレジア跡とを再訪した。

第二次世界大戦後、国立図書館はライプツィヒに、つまり東独に残ったので、西独政府は1946年にドイツ図書館をフランクフルトに設置した。
その音楽部門は、冷戦時代下に、政策的に西ベルリンに置かれた。
それが、197011日にシーメンス・ヴィラに設置されたドイツ音楽アルヒーフである。

しかしドイツ統一後、同一機能を果たす組織が西と東に二重に存在する非効率性は解消の方向にあり、
国立中央図書館も西側(フランクフルト)の
ドイツ図書館Deutsche Bibliothekと、東側(ライプツィヒ)の
ドイツ・ビュッヘライDeutsche Buecheraiが統合されて、
ドイツ国民図書館Deutsche Nationalbibliothekとなった。

全国書誌音楽編の編集局も組織面だけではなく施設面でも統合され、ドイツ音楽アルヒーフはドイツ・ビュッヘライ音楽部門に統合された。

瀟洒なシーメンス・ヴィラを運営するには経費がかさむという問題もライプツィヒ移転で解決された。

2010年、ドイツ音楽アルヒーフは閉鎖され、シーメンス・ヴィラは、実業家シュテファン・ペーターStefan Peterに売却された。

別の話になるが、シーメンス・ヴィラは、1970年代から90年代にかけ、ドイツ・グラモフォンの録音会場の一つとして使用され、幾多のLPCDDVDが作られた。
その中で、バレンボイム指揮&ピアノ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のモーツァルト後期ピアノ協奏曲集のCDDVDは、私の愛聴盤の一つである。

当時始まったばかりのコンピュータによる全国書誌編集業務を学ぶため、若き日に2カ月近くを過ごしたドイツ音楽アルヒーフ跡をシーメンス・ヴィラに訪ねてみたいと考えていたが、今回、定年退職後1年を経た時点でその望みが叶った。
心情的に一区切りがついて、いささかの感慨があった。


                 


    

2012年3月ベルリン旅行記VI


2012319() 6 晴れ

0800分 チェックアウト。5泊で €335,00。格安。

チェックアウト時のホテルのフロントでの話し。

今年6月に、テーゲルよりはるかに大きなベルリン=ブランデンブルク新空港が開港するが、その時にはベルリン-東京直行便ができるとのこと。新空港の場所は、テーゲル空港よりは遠くなるが、タクシー料金にして約 €30,00、時間にして20分程度だろうということで、成田に比べればそれでもはるかに近い。

1050分ほぼ定刻にスイス航空LX0977便は離陸、チューリヒ経由にて帰国の途に就く。

    

チューリヒ空港から私の隣に座ったザンクト・ガレン在住の57歳のスイス人と話をすることが出来て退屈しなかった。

年金生活者について日本では「毎日が日曜日」という決まり文句があるといったら、スイスにも似たような言い方があるとのこと。

それは、退職後も忙しくしていて悠々自適ではない退職者を皮肉った逆の表現で、”Der Ruhestand ist doch Unruhestand.”「平穏な状態は、どっこい、落ち着きのない状態」というもの。

2012年3月ベルリン旅行記V-3 カ・デル・ボスコとガヤ


2012318() 5 曇りのち晴れ一時小雨 III(つづき)

『トリスタンとイゾルデ』がはねた後U2でフリードリヒ通りのイタリアン・レストラン「バッカスの口(くち)」Bocca di Baccoへ向かう。

    

コーミッシェ・オーパでのプロコフィエフ作曲『三つのオレンジへの恋』がはねた後の2人と、宿からの1人の4人が揃ったところで、まずボッカ・ディ・バッコのワインリスト中最高ランクのスプマンテで乾杯。

    

カ・デル・ボスコ社のフラッグ・シップ・スプマンテであるアンナマリア・クレメンティAnnamaria Clementi。これは、収穫・発酵後長期熟成をさせるので、6年を経ないと世に出ない。

素晴らしく繊細な泡と味わいで至極の一時を演出してくれた。ガンベロ・ロッソの該当箇所を英文のまま引用する。

“… Deep and very elegant, with a tiny persistent bead and aromas ranging from fresh fruit to tropical notes, it ends on with cakes and vanilla. 
The palate shows deep, firm structure and inredible harmony that makes it exceptionally pleasant and enjoyable. 
The very long finish is characterized by fruit and mineral notes." (Gambero Rosso 2010, p. 206)

出石万希子は次のように言っている。

「 … このフランチャコルタの舌触りにはだれもが感嘆してしまうだろう。… 一口含めば時間が止まってしまう、いや時間を止めたくなってしまうとでも言ったらいいか、… 
この素晴らしいアジェンダは、実はマウリツィオ・ザネッラ一代でこれほどの名声を獲得してきた。彼が母の移り住んだ『森の中の家』Ca’ del Boscoにアジェンダを設立したのは1968年。 … 」
(出石万希子『イタリア・ワイン・ブック』新潮社、2001年。p. 190

アンナマリア・クレメンティはその母の名で、シャルドネ60%、ピノ・ビアンコ20%、ピノ・ネーロ20%。瓶詰め後5年半の瓶内発酵と熟成。

続いてガヤのバルバレスコ1996年物! 

    
贅言は無用。ガンベロ・ロッソ2000年版でも、簡単に一言触れられているだけ。

”The basic Barbaresco [1996] is a successful wine … .”

出石はガヤについて次のように書いている。

「… たった一人でイタリア・ワインのイメージをアップした人物は誰かと問われれば、アンジェロ・ガヤと答えて異論は出ないであろう。… 
徹底した収量の削減。考えつくあらゆる段階で、実を落とすことばかりを考えたのである。… そして、バリックの導入。… 
アンジェロは『本当の意味で、自分のスタイルのバルバレスコと私が言えるのは1978年のものからだ』と言っている … 」
(出石万希子前掲書、p. 90

また、高木幹太はガヤのバルバレスコBarbaresco DOCGについてこう言っている。

「… 2000年、業界を騒然とさせるニュースが飛び込んできた。… ノーマルのバルバレスコの復権を目指し、単一畑のワインは、バルバレスコを名乗らないことにしたという。… 
あくまでもノーマルのバルバレスコが、伝統のフラッグシップワインであり、唯一のガイアのバルバレスコである。
そして、それを、今後も最高品質のワインとして仕上げていくとの決意表明だった。… 」
(高木幹太『イタリア銘醸ワイン案内』青春出版社、2000年、p. 38-39

自宅外で飲む2回目のガヤをいささか興奮気味で味わう。

色・香り・味ともに、18年を経てなお若々しく、渋味たっぷりで、しかし柔らかく口の中に豊かな味わいが広がり、ゆったりした満足感に人を誘う。

自宅外で飲んだ最初のガヤは、20091231日大晦日にやはりベルリンのルッター&ヴェーグナーでのソリ・サンロレンツォ1993だった。

頂けないのは、ボッカ・ディ・バッコのサービス。
ミシュラン掲載であっても、料理・ワイン・サービス・インテリアのすべてが同水準で高いわけではないという見本のような店だった。
星が付かないのに納得。

お開きは2340分頃。気が付くと最後に客となっていた。

タクシーを呼んでもらって女性3人をホテルへ送り、宿に帰ると午前様。
快眠。

                            (5日終わり) 


2012年3月ベルリン旅行記V-2 バレンボイムのトリスタン


2012318() 5 曇りのち晴れ一時小雨 II(つづき)

ベルリン州立歌劇場公演:『トリスタンとイゾルデ』、シラー劇場於。
指揮:バレンボイム
演出:ハリー・クップファー

    
16時の開演50分前頃に着いて早速プログラムを買い求め(€5,00)、キャスト表を見て愕然とした。イゾルデをヴァルトラウト・マイヤーが歌わない! (ベルリンまできて代役で聴かざるを得ないとは、残念至極)

ライトが落されていよいよ指揮者登場かと思ったら、パルケット前部両サイドのモニターに、バレンボイムが既に指揮台で待機している姿が写っていた。そういえば、ピットの客席との壁の上部がピット内側に向かって緩やかに傾斜してピットに1メートルほどかぶさってオケが見えなくなっている。一昨々日(15日)『愛の妙薬』公演後に工事が行われピットの形が変えられたようだ。

開演前に拍手するタイミングのない形が、つまりバイロイト形式が仮劇場のシラー劇場で実現されている。シラー劇場改修に当って聴衆との関係性も変えられるようにバレンボイムが(?)考えたらしい。

最弱奏で始まった序曲は次第に高揚していく。振幅の大きな演奏。

一つ一つのフレーズに、バレンボイムが読み込んだ曲想にしたがった起伏があり、高度な演奏能力を持つ個々の楽員を通じて統一性をもって実現される。

楽譜に書かれていることをどのように現実の音にするかの可能性は一つではない。バレンボイムの表現は、私にとっては一々納得できる。それはある程度の普遍性をもって訴求力を発揮し、劇場全体が高揚していくのがわかる。劇場の温度が上がる。

イゾルデのリンダ・ワトソンは視覚的に満たされないだけでなく演技力に欠け、折角の表出的なオケの音に寄り添っていかず、もどかしい。

トリスタンはイァン・ストーレイで、2007年のシーズン初日のスカラ座公演と同一配役(この時もイゾルデはヴァルトラウト・マイヤー)。声量はほどほどで悪くないのだが、演技がどうしてスカラ座のときのような迫真性に欠けるのか。相手役との関係でこうなる?

1幕の頂点をなす秘薬の場面でも、オケが準備した緊張感が、声楽の入りで肩透かしを食わされ、はぐらかされてしまった。バレンボイムも落胆?

マルケ王は第2幕後半で初めて歌うが、ここで舞台は一気に引き締まった。ルネ・パーペの声は、何という張りのある表現力豊かな低音だろうか。

最も信頼する部下にして甥であるトリスタンに裏切られた初老の王の嘆きを歌って、これ以上の歌唱はない。

2幕後のカーテンコールで、ホールを揺るがすような、この日最高のブラボーの嵐が起こったのもむべなるかな。

3幕も、トリスタンの長丁場がほどほどの出来で、イゾルデの「愛の死」も感興が薄かったため、マルケ王の一人舞台。

2人の主役には飽き足らなかったが、幕切れは圧巻。オケが最弱奏で消え入るように終わりライトが次第に消えて真っ暗になっても拍手は起きなかった。

物理的時間にすれば10秒とか15秒にすぎなかったろうが、聴衆全員が感動で拍手を忘れたかのようだった。明かりが戻り、我に返って起こった拍手は、はじめ恐る恐るから次第に強くなり最終的には劇場を揺るがした。

カーテンコールに移り、まず歌手。もちろんマルケ王のルネ・パーペへの喝采が尋常ではない沸き方。

次いでブランゲーネを歌ったエカテリーナ・グヴァノヴァが大受け。

私は初めて聴いて、素晴らしい歌唱と初々しい舞台姿に惚れ込んだ。新しい才能の発見!

そして、地元の聴衆が待ち構えている中でのバレンボイムとシュターツ・カペレのカーテンコール。

ベルリン州立歌劇場でバレンボイムが始めたのではないかと思うが、例によってオケがピットから舞台に上がってのカーテンコール。

凄まじいまでの拍手とブラボーの嵐、床を踏み鳴らす音と振動で劇場は沸き返った。

このような非日常的興奮の坩堝でありながら、定刻16時きっかりに開演、2055分予定ぴったりに終演という日常性の中でのレパートリー公演だった。

2000416日初日のこのクップファー演出の『トリスタンとイゾルデ』公演は、すべてバレンボイムの指揮と思われるが、今日で34回目の上演で、州立歌劇場の十八番(おはこ)の一つである。

    

本筋からは外れるが、バレンボイムが激痩せなのに驚いた。

昨年(2011)127日スカラ座シーズン初日から4ヶ月余の間になにがあったのか(昨年末NHK-BSプレミアム『ドン・ジョヴァンニ』の映像で所見)。

減量に成功したのなら、喜ばしい。

(5日つづく)


2012年3月ベルリン旅行記V-1 ユダヤ博物館


2012318() 5 曇りのち晴れ一時小雨 I

今朝の新聞記事に、2010/2011シーズンの劇場・演奏会場の統計記事が出ていた。写真は劇場ごとの入場者数の増減と満席率(稼働率)の図。

     

オペラでは、3つある歌劇場のうちベルリン・ドイツ・オペラだけが入場者数増で、11,000人増の総数252,000人。

州立歌劇場は、(シーズン前半は本拠のウンター・デン・リンデンで公演していたにもかかわらず)聴衆の評判が良くない仮劇場のシラー劇場のせいで、ほぼ7,000人減、稼働率も比較的小さなシラー劇場なのに85.3%から75.8%に下がった。182,381人。

演奏会の方では、フィルハーモニーは8,000人増の283,000人、稼働率は前シーズンの90%という高い数字から少し落ちて88.5%だった。

ジャンダルマンマルクトのコンツェルトハウスは3,000人増の139,000人に達する勢いだった、等々。

文化欄の他の記事では、ボーデ博物館で、クリストフ・ハーゲルChiristoph Hagelが新しい趣向でオペラをシリーズでやっているとのこと。今回の演目は『フィガロの結婚』。
           
ベルリン地域版では、クヌートが4歳でビールス性脳症で亡くなってから1周忌を迎えるという記事と、東日本大震災から1周年の記念行事が、ダルマ人形で復興を願って開かれたという記事があった。見出しは、前者が「永久(とわ)に愛され:本日動物園でファンたちが白熊クヌートを偲ぶ集い」、後者が「日本人、張り子人形で感謝を示す:ダルマは津波の犠牲者に幸せを運ぶ」。


        

1015分~1316分、ユダヤ博物館再訪。今日は3時間をかけて見たが、それでも全部見たとはいえない。

最初の展示物はザクロの木(造花)。

     

解説板から:
「ザクロの実は、ユダヤ教では様々な意味を持っている。ザクロの実は、イスラエルの富を象徴する聖書上の果物であり、豊穣と情熱の象徴である。その赤い色は火と官能を象徴している。”Lied der Lieder”においては、2つに割られたザクロの実は花嫁の頬に喩えられている。Rosch ha-Schana、 新年(の祝祭)の前夜には、多くの地方で、収穫されたばかりの新鮮なザクロの実を食べるという風習がある。贖罪の日に人は『ザクロの実のタネが沢山あるように私の稼ぎが沢山ありますように』と祈る。聖書注釈の中には、アダムとイヴが智恵の木から食べた果物はザクロの実であったとするものもある。」

ザクロGranatoと名付けられたイタリア赤ワイン(フォラドーリがテロルデゴ・ロタリアーノ種から造っている)は、ユダヤと何らかの関連があるのだろうか。

(5日つづく)



2012年7月3日火曜日

2012年3月ベルリン旅行記IV-4 ルッター&ヴェークナー


2012317() 第4日 晴れ Ⅳ(つづき)

演奏会後、ポツダム広場駅からU2で中心街Stadtmitteまで。

ジャンダルマンマルクト前ルッター&ヴェークナーLutter & Wegner本店のワインバーへ。

ネオンサインが灯いたルッター&ヴェーグナーは、端正な昼間の姿とは異なり蠱惑的な印象。

この時初めて3年前の修復工事はネオンサインの新設を含めた工事だったことを知った。




レストランの入り口:
        
          ワインバーWeinstubeの入り口:   
    
ルッター&ヴェーグナーがラインヘッセン産ぶどうをヘンケル社に(委託)醸造させ、店のラベルで出しているピノ・グリGrauburgunder 2010で乾杯。リースリンクより良い出来。

            帰国後撮影のラベル写真:
    

ウェイターのおじさんのおごりでテメントTementのアイスヴァインをご馳走になる。最後のとどめとして美味な極甘の上物。

(4日終わり)


2012年3月ベルリン旅行記IV-3 ベルリン・フィル


2012317() 第4日 晴れ Ⅲ(つづき)

18時にフィルハーモニー傍のソニーセンタービル内のカイザーザールKaisersaalにあるレストラン「ルッター&ヴェーグナー」Lutter & Wegner3人の女性たちと待ち合わせ。

1人はロンドンから、2人は東京から合流。

    
ベルリン・フィル演奏会の前に4人で軽く腹ごしらえ。

ヴィーナーシュニッツェル、りんご豚、いくらと鮭、そしてもう1皿、別々のメインディッシュを1皿ずつ。それに、各200ml入りのグラスの、白ワイン×1と赤ワイン×3を味わった。

いずれも最近とみに美味しくなっているオーストリア・ワイン。白ワインも良かったが、赤ワインが出色の出来で全員の高い支持を得た。

赤ワインの造り手名をメモしなかったのが悔やまれるが、曖昧な記憶によると、オーストリア東部ブルゲンラント地方のアラホンArachonという造り手のブラウフレンキッシュBlaufraenkisch(とCSM、ツヴァイゲルトZweigeltの混醸)だったか?

鮮やかで濃い紫赤色、赤系果実の華やかな香りがして、爽やかな酸に支えられた果実味豊かで穏やかな渋味が広がる。とてもバランス良く、飲み口爽やかな印象で、若々しくて美味しい。また飲みたくなる味わい。200mlで €7,50

1920分頃ルッター&ヴェーグナーを出てフィルハーモニーへ。

    
20時、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公演、ズビン・メータ指揮ブルックナー作曲交響曲第8番の、15日、16日に続く3回目にして最後の演奏。

大ホールであるにもかかわらず、視覚的にも居心地的にも、まるで室内楽ホールで聴くような近さと温かな親密さで、そしてどこの席でも均質な音響で音楽を享受できるように作られている(らしい)。

私自身はこのホールで演奏会を聴くのは4回目。

ホールが出来てから既に51年が経過し、全楽員が、戦前は別の場所にあったシューボックス型の前フィルハーモニーで演奏した経験を持たない世代となり、入団して以来すべてこのホールを本拠地として演奏を続けているので、ホールとオケが完全に一体化したかのように共鳴する。聴衆はその響きにすっぽり包み込まれ演奏に聴きほれる。

最弱奏から最強奏までなんという大きな振幅で鳴ることか。

最強奏時の音圧に圧倒され、それでいて弱奏時の細やかな繊細さは無類である。

木管楽器の入りの完璧な揃い方、和声的な重みづけを反映した絶妙の音量のバランスが作るアンサンブルの美しさ、金管楽器群の力強さ、ティンパニの決然とした打音、弦楽器は弦楽器で、第8プルトの内側の奏者までほぼ同じ技量を有した16人の第1ヴァイオリン群の音がマッスとして聴く者に迫ってくる圧倒的迫力、5種の弦楽器群が揃いもそろって第1ヴァイオリンと同じように圧倒的な音を出す。

一個の有機的演奏体としてこれ以上の団体を想像することは難しい。これに比すことが出来るのはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団くらい。

世の中に存在しうる最良の音響発信体を聴いた。

しかしメータの音楽表現に完全に納得したかというと若干の留保がつく。

ブルックナーの最長で最高の交響曲には、聴く者をもっと深い感動に誘う演奏があるように思う。

ベネディクト・フォン・ベルンシュトルフによるBerliner Morgenpost (Berliner Tagesblatt?) 15日の演奏評に同感である(IV-1参照)。

(4日つづく)