2012年3月16日(金) 第3日 晴れ Ⅱ(つづき)
数多く展示されていた盗聴、盗撮等の機器から一例として、ネクタイの中に忍ばせる小型カメラが次の写真である。
「ネクタイ用カメラのトチュカ。トチュカは、KGBがミノックスを改造して作った。バネ・モーターを備えている。対物レンズは、ミノックスでは狭い面から撮影するようになっていたが、広い面に移されている。着衣に隠されたレリーズでシャッターが押されるようになっている。」(英文と若干内容が異なるようだ。)
展示を見た後、通りがかった職員に、「私の記録がシュタージにあるかどうか調査依頼をしたいのだけれどどうすればしてもらえるか」と訊いたところ、
隣接する建物 Haus7のアーカイヴStasi-Archivへ行きなさいという返事だった。
施錠されたドアの前に立ち意を決して訪いを入れた。そうすると受付担当の中高年の男性職員が中から解錠してくれたので、恐る恐るドアを開けて内へ歩を進め、以下のように訊いた。
「私は1981年5月から6月にかけ旅行者として4回にわたりフリードリヒ通りのチェックポイントから当時の東ベルリンに入りました。その時に作られた私の資料が存在するかどうか知りたいのですが、どのように手続きすればよろしいでしょうか。」
彼は、気軽な様子で、受付窓口に置いてある申請書式をくれた。
記入の仕方の説明を受けて、訪問者用デスクで15分ほどかけて記入した。
彼は、それを見て微修正を施したあと言うには、
「数週間後あなたの日本の住所に郵便で資料の有無と、あった場合にはそのコピーをお送りします、それについてさらにお訊きになりたいこと等がありましたら、今お渡しするこの名刺のメールアドレスにメールでやりとりなさってください、費用は一切かかりません」
とのこと。
腰あくまで低く、物腰柔らかく、高圧的なところは一切なく、親切で、そこに、東独時代の負の遺産を、時間をかけ費用を投じて国として解消しようという姿勢を見た。
3900万件の目録カードの中に私のものが含まれているかどうかは分からないが、もしあったとしたら、単なる観光客にも監視の目が光っていたわけで、当時何の気なしにウンター・デン・リンデンをうろついていたけれど、いま思い出しても背筋が嘘寒くなる。
後日談:
4月4日に、3月23日付けの途中経過報告の手紙が届いた。
発信人は、旧東ドイツ国家公安局資料連邦委員会で、申請の日付、申請者名、申請受付番号を明記したあと、確かに申請を受け付け、調査を開始したが、何分大量の申請があり調査には時間がかかる、結果が出るまで猶予をいただきたいという内容だった。
電話・文書による問い合わせは、処理をさらに煩雑にするので、ご遠慮いただきたいと添え書きがあり、連邦委員会設置後22年を経てなお今も如何に多くの人が問い合わせしているかが想像できる。
旧東ドイツ国家公安局資料連邦委員会のHPへは以下のURLから:
(第3日続く)
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