2012年3月18日(日) 第5日 曇りのち晴れ一時小雨 II(つづき)
ベルリン州立歌劇場公演:『トリスタンとイゾルデ』、シラー劇場於。
指揮:バレンボイム
演出:ハリー・クップファー
16時の開演50分前頃に着いて早速プログラムを買い求め(€5,00)、キャスト表を見て愕然とした。イゾルデをヴァルトラウト・マイヤーが歌わない!
(ベルリンまできて代役で聴かざるを得ないとは、残念至極)
ライトが落されていよいよ指揮者登場かと思ったら、パルケット前部両サイドのモニターに、バレンボイムが既に指揮台で待機している姿が写っていた。そういえば、ピットの客席との壁の上部がピット内側に向かって緩やかに傾斜してピットに1メートルほどかぶさってオケが見えなくなっている。一昨々日(15日)『愛の妙薬』公演後に工事が行われピットの形が変えられたようだ。
開演前に拍手するタイミングのない形が、つまりバイロイト形式が仮劇場のシラー劇場で実現されている。シラー劇場改修に当って聴衆との関係性も変えられるようにバレンボイムが(?)考えたらしい。
最弱奏で始まった序曲は次第に高揚していく。振幅の大きな演奏。
一つ一つのフレーズに、バレンボイムが読み込んだ曲想にしたがった起伏があり、高度な演奏能力を持つ個々の楽員を通じて統一性をもって実現される。
楽譜に書かれていることをどのように現実の音にするかの可能性は一つではない。バレンボイムの表現は、私にとっては一々納得できる。それはある程度の普遍性をもって訴求力を発揮し、劇場全体が高揚していくのがわかる。劇場の温度が上がる。
イゾルデのリンダ・ワトソンは視覚的に満たされないだけでなく演技力に欠け、折角の表出的なオケの音に寄り添っていかず、もどかしい。
トリスタンはイァン・ストーレイで、2007年のシーズン初日のスカラ座公演と同一配役(この時もイゾルデはヴァルトラウト・マイヤー)。声量はほどほどで悪くないのだが、演技がどうしてスカラ座のときのような迫真性に欠けるのか。相手役との関係でこうなる?
第1幕の頂点をなす秘薬の場面でも、オケが準備した緊張感が、声楽の入りで肩透かしを食わされ、はぐらかされてしまった。バレンボイムも落胆?
マルケ王は第2幕後半で初めて歌うが、ここで舞台は一気に引き締まった。ルネ・パーペの声は、何という張りのある表現力豊かな低音だろうか。
最も信頼する部下にして甥であるトリスタンに裏切られた初老の王の嘆きを歌って、これ以上の歌唱はない。
第2幕後のカーテンコールで、ホールを揺るがすような、この日最高のブラボーの嵐が起こったのもむべなるかな。
第3幕も、トリスタンの長丁場がほどほどの出来で、イゾルデの「愛の死」も感興が薄かったため、マルケ王の一人舞台。
2人の主役には飽き足らなかったが、幕切れは圧巻。オケが最弱奏で消え入るように終わりライトが次第に消えて真っ暗になっても拍手は起きなかった。
物理的時間にすれば10秒とか15秒にすぎなかったろうが、聴衆全員が感動で拍手を忘れたかのようだった。明かりが戻り、我に返って起こった拍手は、はじめ恐る恐るから次第に強くなり最終的には劇場を揺るがした。
カーテンコールに移り、まず歌手。もちろんマルケ王のルネ・パーペへの喝采が尋常ではない沸き方。
次いでブランゲーネを歌ったエカテリーナ・グヴァノヴァが大受け。
私は初めて聴いて、素晴らしい歌唱と初々しい舞台姿に惚れ込んだ。新しい才能の発見!
そして、地元の聴衆が待ち構えている中でのバレンボイムとシュターツ・カペレのカーテンコール。
ベルリン州立歌劇場でバレンボイムが始めたのではないかと思うが、例によってオケがピットから舞台に上がってのカーテンコール。
凄まじいまでの拍手とブラボーの嵐、床を踏み鳴らす音と振動で劇場は沸き返った。
このような非日常的興奮の坩堝でありながら、定刻16時きっかりに開演、20時55分予定ぴったりに終演という日常性の中でのレパートリー公演だった。
2000年4月16日初日のこのクップファー演出の『トリスタンとイゾルデ』公演は、すべてバレンボイムの指揮と思われるが、今日で34回目の上演で、州立歌劇場の十八番(おはこ)の一つである。
本筋からは外れるが、バレンボイムが激痩せなのに驚いた。
昨年(2011年)12月7日スカラ座シーズン初日から4ヶ月余の間になにがあったのか(昨年末NHK-BSプレミアム『ドン・ジョヴァンニ』の映像で所見)。
減量に成功したのなら、喜ばしい。
(第5日つづく)
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