2010年11月25日(木) 第6日 晴れ E・アルターレ&マルヴィラ
5時起床。夜明けとともに窓を開け放つと、ロエロの丘陵にぶどう畑が一面に広がる素晴らしい眺望。
9時10分、宿を出発、エリオ・アルターレのカンティーナに向かう。45分程で到着。次の写真は、カンティーナのベランダから撮ったラ・モッラ村のぶどう畑で、手前の畑が、かのアルボリーナ畑。
早速テイスティングルームに招じ入れられ、エリオ自身から、40年に及ぶワイン造りの原点と理念について30分にわたって話を伺った。世界にその名を知られた醸造・栽培家が、多忙な中、倦むことなく熱く語られる姿に感銘を受けた。
およそ次のような内容だった。
第二次世界大戦後四半世紀にわたって化学肥料と農薬の時代が続いた。1970年代になるとブドウがまともに生育しなくなった。トリノ大学に土壌分析を依頼したところ、土地が死んでいるという調査結果が出た。自身も殺虫剤で死ぬ思いをしたことがある。そこから、化学肥料や農薬を使わない農法に切り換えなければならないと思い至った。
しかし、土地が蘇るまでには10年を要した。自然農法(特に謳ってはいないが、現在では殆どビオディナミであるとのこと)を継続的に行うためには、例えば完熟堆肥を安定的に供給してもらわなければならず、一方に牧畜を始めるために資金を必要としている人たちがいたので、その人たちに資金を提供し見返りに堆肥をもらうという協力関係を作ろうとして、「いっしょに」Insiemeの活動を始めた。
醸造方法についても研究を重ねたが、樽の使用法で悩んだ。1976年にブルゴーニュに出かけてバリック(小樽)を知った。バローロの伝統である大樽では過度の酸化が避けられず折角のネッビオ―ロの可能性を生かし切れていない、また現代人の好みに対応できないとの考えから、父君と対立し、大樽をチェーンソーで切り刻んだという伝説は有名である。
大樽から小樽へというのは、バルバレスコのガイヤと同じ結論である。父君は、エリオの考えを認めることができず、そのためカンティーナを相続したのは妹(姉?)で、いまの形になったのは、相続後暫くして妹から買い取ってからである。
小樽は大樽よるはるかに高価であるが、1985年以来、€70,000~€80,000かけて毎年70樽購入している。酵母も自然酵母を使っている。
20年を要してようやく、飲み手とワインとぶどう畑を守る、循環可能な生産方式に到達した。
かつては小樽熟成のネッビオーロが長熟することを誰も信用せず、大かたは否定的反応であったが、20年が経過して小樽熟成でも長熟するというエリオの信念が実証されようやく世に認められた。彼の造るワインは、発売後すぐに飲んでもおいしく、また長期熟成させてもおいしいという定評が確立したのは2000年頃からである。そのことを、続いて行われたテイスティングで実感した。
エリオの後を受けて太洙 曺(テス・チョウ)によるテイスティングが行われた。テスさんは在日韓国人で、昨年秋正社員として採用された。いまやエリオの右腕ともいわれる気鋭の醸造家である。
さて、テイスティングである。日本語が有り難かった。




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